ベトナム・ホーチミン(Ho Chi Minh

ベトナムをイメージすると、誰もがベトナム戦争を思い浮かべるでしょう。

べトナム戦争終結から30数年、市街地には戦渦の面影は殆んど感じませんが、先々でそれを思わせる光景も目にしました。しかし、ホーチミン(旧サイゴン)市では、人なつこく勤勉でまじめなベトナム人の勢いを感じました。

ベトナムを代表する麺料理『フォー』の美味しさと、一年中豊富な果物に日本人との相性がとても良いところと感じました。

ベトナムの経済都市・ホーチミン

まず、バイクの多さに驚きです。

最初は、怖くて道路を横断することができませんでしたが、慣れると案外平気になります。

70cc以下は運転免許は不要といっていましたが、実際は18才以上でないと運転免許は与えられないようです。ようするに年齢に関係なくバイクに乗っているということなのでしょう。

特に日本製バイクは、大人気! ホンダのカブは外見ボロボロになっても、大切に乗れば20年位まで乗れるようです。

電化製品は、日本製だとタクシーの運転士さんも誇らしそうに言っていた。

ノーヘル・三人乗り、あたりまえです。

 

シクロ(三輪自転車タクシー)、観光客目当てに近寄って来ます。

安いので怖がらす乗ってみるのも良いでしょう。

サイゴン大教会、フランス植民地時代の影響からヨーロッパ建築の影響を残しているそうです。

ベトナム共産党人民委員会

市民劇場

  

中央郵便局正面にはホーチミンの肖像が、今ではアオザイ姿は少ないようですが、スタイルの良いベトナム女性にはアオザイが良く似合います。

 

ベンタイン市場付近では、ドリアンなどを並べる南国フルーツの店がいっぱいです。市民生活を感じる場所、見て廻るだけで楽しくなります。

ベンタイン市場のコーヒー専門店で、甘い香りのベトナムコーヒー“アラビカ”“ロブスター”がお勧めです。

メコンデルタ・ミトーへ (My Tho)

途中、ゴムの樹の林が続いていました。

 

ドラゴンフルーツや柑橘系、椰子の実などの果物がたくさんあり見ているだけでも楽しくなります。

もちろん、食べても皆美味しく、それに安いことも魅力的です。

メコン川は海のようにゆったりと流れていました。

 

 

メコン川の中洲には、こんな椰子の林があり、その間を手漕ぎの船でクルーズができます。

中州からの対岸が

 

ジャックフルーツの木

クチ (Cu Chi)

ベトナム戦争当時、南ベトナム開放戦線の拠点となっていた場所です。

地下トンネルがあり、鉄の三角地帯と呼ばれ難攻不落の場所であり。アメリカ軍がたび重なる爆撃と大量の枯葉剤を投下した場所です。総距離は250kmのも及んでいたそうです。

戦略爆撃機“B52”の爆撃によって出来た大きな穴があちこちにあった。ユーカリの林に覆われていました。

 

地下トンネルには、大柄の米兵は通ることが出来ないよう細く掘られていた。

実際に入って見ると息が詰まりそう、腰にも来ました。

地雷で破壊されたまま、展示物になった米国製戦車の残骸、米国人らしき観光客が記念写真を撮っていたが実際に4人が亡くなったものだとか。意外にアメリカからの観光客が多いようでした。

もちろん有料ですが、ライフルの実弾射撃も体験できてしまいます。

ベトナム戦争

 

戦争証遺跡博物館と屋外展示物、ホーチミン市で必ず見学して頂きたいところです。

この戦争資料館には、ベトナム戦争当時、枯葉剤による奇形児など、今もなお深刻な後遺症を残しているのかがよく判ります。

あまりにも、衝撃的なベトナム戦争の傷跡を目にし、写真に撮ることも忘れてしまいました。

日本軍による占領、フランスの植民地時代からの開放、アメリカによる民族の分断の歴史の国でした。

そしてベトナム戦争で唯一アメリカに勝利し、統一を勝ち取ったベトナムの歴史が記録されていました。

写真家・沢田教一氏の「安全への逃避」、UPI通信社記者として、ベトナム戦争を取材、ピュリツァー賞を受賞した。

1970年カンボジアで狙撃されて死亡

日本の平和団体をはじめ、世界中のベトナム戦争に抗議するポスターも展示されていました。

世界に類のない日本国憲法『9条』を誇りに思います。

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