大和楊心流柔術は、日本古来の精神・伝統文化である武術を練錦として現代に伝えるべく、新しいタイプの「やわら」です。柔道もそうした意味合いのものでありましたが、現在では競技的な近代スポーツになっています。
大和楊心流柔術は護身術であり、競技的なスポーツではありません。
大和楊心流柔術では逆を用いて相手を封じ、投げて怯ませ、締めて落とし、捕付けて無力となし、当てて倒し、之を活で生かす。
このように、相手を傷つけないで取り押さえる武術です。
弱で強に勝ち、柔で剛を倒し、小で大を挫く道ですから、この練習により贅肉を取り、身体壮健になり、身体のこなしが軽快になり、沈着、果敢となるため大難は小難ですみ、小難は無難ですみ、心の修行により不撓不屈の精神を鍛えます。
ですから護身のため、健康のため、老若男女、皆共に楽しく練習できるのが大和楊心流柔術です。
由来 流祖は高木折右衛門重俊で、その名から高木流とも称される。
高木は奥州白石家中、片倉小十郎家臣と伝えられ、寛永年間、剣術・火術を専らとしていたが、二代目馬之輔の代 に柔術が入り、さらに九鬼神流の大国鬼平によって、棒術も取り入れられた。
これを十三代赤穂藩士 八木幾五郎が、当流を修行体得後、帰郷して摂州一円に広めたものである。
皆木三郎先生は十六歳で十六代赤穂藩士、角野八平太正義の門人になり、厳しい修行に打ち込み、昭和八年に免許皆伝、昭和二十二年兵庫県の麻耶山に篭り、二十一日間、普門の滝に打たれて行を積み、ここで開悟するところがあって、徒手にて人を制する業を工夫して後世に残す。
十七代 皆木三郎先生に教えを受けた、十八代 北田楊心先生は更に二刀小太刀を加え、皆木先生より、「世の中は、皆仲良くするように、平和な世界にするよう」、[和]を大きくすることと大和の国で、
【大和楊心流柔術】を名乗り、皆木楊心流柔術正伝を世に残すと約束した。
